2013/12/25

入院中の人間観察

2013年12月11日から1週間以上入院することになった。急性の胃潰瘍。近所の内科で胃カメラを飲んだあと、入院施設のある病院へ救急車で搬送され、緊急入院となった。

入院中の詳細であるとか、病状の詳細については別のブログにまとめようと思うが、ここでは大部屋の入院中に出会った同室の人達の人間観察の結果を書いてみようと思う。

ちなみにお約束ではあるものの、ここで書かれる人達は個人情報を伏せた形で書かれている。

12月11日に緊急入院してからの最初の数日は、とにかく自分自身が意識朦朧としていて、人間観察をする暇すらなかった。ただ、これからも抱き続ける感覚ではあったのだが、とにかく「同室の人のイビキがうるさい」「老人しかいない」というものであった。若い人も時々入院してきたものの、まぁ入院する人、だいたいは身体が弱った老人なんだろう。また私は普段から不眠の症状があるので、先に入眠したとしてもイビキの爆音で起こされるといったことが度々あった。耳栓を買ってきてもらい、それでだいぶ緩和されたものの、それでも浅い眠りは続いた。そもそもカーテン一枚で仕切られ、看護師さんが夜も出入りする大部屋の「個人環境」は、私の性に合わなかったのだろう。

部屋は4人部屋であった。私のベッドの位置関係には「隣」「向かい」「斜め向かい」という3つの病床がある感じだ。

最初に緊急入院で搬送されてきた数日間は、周囲3人は「死にそうな老人しかいない」という印象であった。実際に危篤というわけではないが、弱りきって生気がない、返事も満足に返せない老人とでもいおうか。自分自身もまた、潜在的な貧血と胃カメラをはじめとした検査の連続、そして慣れない入院生活の始まりに、だいぶ衰弱していたことは事実だ。

斜め向かいの人が退院していって3人になったと思ったのもつかの間、空いた病床にひとりの男性が入院してきた。40台前半と思しき「若い」男性だ。腸の検査の後の入院なのか、一泊二日で帰っていったが、両日ともに妻や数名の子供がやってきて、家族の温かみを感じた。話を横耳で聞いていたところ、会社の社長か役員といった立場の方で、仕事関係の人もちらほら来ていたようだ。家族と会社、この両輪でサポートされている男性に大いにうらやましさを覚えた。また若くて会社の偉い人という立場からか会話もうまく、看護師さんとの雑談もうまいという印象だった。昔はチャラかったのかもなとか邪推してはみるものの、それが40台で家族にも会社にも恵まれて「円熟している」さまは順風満帆な人生であろう。

私が入院当時から向かいにいた老人は、病気の詳細はよくわからなかったものの、入院当時よりも相当元気になったということが看護師から語られていた。それでもヨボヨボ具合を声から感じたりするものだから、普通に老いるとこうなってしまうのかという複雑な思いもあった。尿道に差し込まれた管が痛いとずっと言っていたが、息子さんが泌尿器科の看護師とのことで、泌尿器科が無いこの病院内では一番のアドバイザーになっていたのも興味深かった。看護師の指示には従わないことが多かったものの、息子や妻の言葉には素直に従うところ、家族関係はうまくいっているのだろう。私の入院から数日を経て、その老人は退院していった。正確に言えば、別の病院の泌尿器科にそのまま直行になったようである。

入院当初から隣の人のイビキに悩まされていたが、友人知人のツテを頼って買ってきてもらった耳栓と、その人が比較的すぐ退院していったことによってひとまずの解決を得た。結局最初の隣の人の病状の詳細についてはあまり良くわかっていなかった。自分自身も最も朦朧としていた時期だ。無理もない。

斜め向かいの40台の男性が退院していったあと、そこには骨折で入院してくるOさんが入ることとなった。この方もまた会社の社長らしく、入院当時は家族だけでなく会社関係の方も多数入れ替わり立ち代わりお見舞いに訪れ、また長期間の入院となる事が予想できたことで、業務引継ぎのための会社の社員の方も頻繁に訪れていた。Oさんは、当初はその痛みそのものに強く怒り、その怒りを看護師にぶつける事が多かった。また「部下」と思しき人物への業務引継ぎ時にも激を飛ばす事も多く、元々気性が荒い人なのかなという印象を覚えた。ただ、妻が毎朝お見舞いに来て、その素行についてたしなめる発言を何度もしたことで、だいぶ態度が軟化していった。「入院してお世話になる立場なんだから看護師さんや会社の人へ上から目線はやめなさい」などと。妻の力は偉大だと感じざるをえない。妻は実際は最も心の支えであり、怒りで隠された本当の内心は心細かったのであろう。発言を聞いていると、この歳になるまで入院は初めてだとか、暗に不安を語る発言も多かった。

その後のOさんは、痛み止めで痛みを制御され、看護師さんへの親切に触れるたびに態度を軟化させていった。妻の提言も大きかったのだろう。お礼やお詫びの言葉も出るようになった。後日行われた手術は数時間に渡る大手術であったようだが、手術疲れや諦め、また的確に効いている痛み止めなどの効果もあって、入院当初から比べたら見違えるほど温厚な性格になった。リハビリが長引きそうで退院は年越しになることを残念がっていたが、本当に頑張ってほしいし、良い家族と会社の人達に囲まれている幸せな人だと感じる。入院という人生初の体験もこの人にとって無駄じゃなかったんだと思える。会社での地位が社会での地位ではないということ、これは会社で中途半端に偉い老人が勘違いしてしまう病気のようなものであるが、こういう家族とも会社とも違うコミュニティに触れることで違う価値観がこの年齢になっても生まれるということは、人間まだまだ捨てたものじゃないと思わされた。

空いた隣のベッドには、程なくして新しい人が入ってきた。最初は足の病気とのことだったが、どうやら糖尿病の諸症状の一つであったようだ。この人は本当に外に出たがっていて「仕事の都合で数時間だけ」と看護師に頼み込んで一時外出を一度した。ただ、戻ってきてから血糖値を測られたときに、一時外出時に甘いものを食べたことが看護師に発覚して、看護師から叱られることとなる。身体と機械の数値は正直である。私はこの時、睡眠不足でうとうとしていたのだったが、看護師さんの怒号に驚いて目が覚めた。この後も平身低頭な性格であるが反省はしないその患者に、看護師さんが代わる代わる来て糖尿病の恐ろしさを説く様は、私も糖尿病の恐怖について詳しくなることとなった。しかしその人、最後まで自分の生活習慣を改めて糖尿病を治そうという真剣な態度が無かったように思う。糖尿病自体は別の病院に罹っているとのことであるが、この先思いやられる人であった。このまま行くと、両手足切断と人工透析の末がみえている。健康第一であるし、糖尿病は一生付き合っていく必要のある病気であることが分からないらしい。ただ、足の病気自体は大したことがなかったのか、次の日には妻らしき人がやってきて一泊二日の入院生活を終えていった。

私の前の病床には新しい男性が入ってきた。この人も40台とおぼしき若い男性である。病状はよくわからなかったものの、開腹手術が必要なほどの人らしい。ただ、現在は入院時に比べて薬と点滴で穏やかになっているからなのか、この人もやたら外に出たがる人であった。ただ、その人はパソコンを病室に持ち込んでいることや、医師や看護師との交渉の過程でもかなりの働き盛りであることが伺え、「2時間程度の会議にでもでなくては」といったことを言っていた。ただ病院側としては開腹手術が必要なほどの症状であることを含めて難色を示していたものの、手術が年末で入院が年を越す事もあって、外出許可を出すこととなったらしい。働き盛りの男性とは大変であると同情する反面、こういうときのために属人化の解消をしていなかったのかという疑問もある。会社の重役であればまだしも、その人はそういう感じでもないようだった。しかもこの人、いびきが猛獣レベルでうるさくて本当に敵わなかった。耳栓をしていても時々聞こえるけたたましい音に、一日一睡もできない日ができたくらいであった。たぶん40台であのいびき、ちょっと別の意味でまずいのでは、と思わされるくらいであった。程なくして何かの事情か、別室へ移っていった。安眠が戻ってきたと思った瞬間だった。

12月20日になった朝方、この日はよく眠れて5時過ぎにトイレで目が覚めた。眠っている間にカラだったはずの隣の病床に救急患者が運ばれてきたようで、トイレでカーテンを空けたところでその老人である救急患者が血を流しながらトイレに向かっているのを看護師達が必死で制止しているのである。びっくりしつつ、一人の看護師さんから別のトイレを案内され、そこで用を足した。その後もこの老人の「言う事を聞かないっぷり」に看護師さん達は翻弄され続けたようだ。こういう老人、入院中にも行動の大小あれ結構いる印象を覚えたものの、ボケているのか言っても忘れるのか(同じ意味?)、本当によくわからない。人間、人から言われたことを咀嚼して理解できなくなったらあんな哀れなことになるのかと思ったと同時に、自分はそういう老い方をしたくないと痛感した次第だ。症状は胃からの吐血とのことで、私と同じ胃潰瘍のような感じであった。私もあのまま放置していたら吐血して倒れたと考えるとゾッとする。流血事件そのものは吐血ではなく、点滴などの管を引きちぎって移動しようとしたことによるもののようだった。

「朝の流血事件」を起こしたこの患者、振る舞いは無礼ではないものの全く看護師の言う事を聞かずに何を考えているのか、その後も午前中自由奔放を振る舞った挙句、また看護師の制止を振り切って(自分の)流血事件を起こしたため、家族同意のもと個室へ軟禁される事となったらしい。私はその時「午前の散歩」と称して歩行許可が出たあとの日課として病院内を歩いて運動していたので、昼食時に病室に戻ったらその人はおらず、血で汚れた仕切りのカーテンでその惨状を垣間見たのであった。看護師さんに「お騒がせしました」と言われても「あぁ、そんなことがあったんですか」と言う他なかった。

入院当時から賑わっていた大部屋は、この時Oさんと2人になった。血で汚れたカーテンを看護師さんが回収して見晴らしが良くなったので、ちょうど洗面台の前に来たOさんの妻と目があって少し会話をした。押しの夫と引きの妻とでもいおうか。時に強く会社を支える夫とバランスを取るように、平身低頭で物腰語り口の柔らかな奥様であった。携帯電話の充電器などのデジタル機器は揃っているので、入院中困ったら声をかけて欲しいと言っておいた。私の業界だけでなく、何事もギブアンドテイクの世界。困ったときはお互い様である。

その後、前の病床に入ってきた老人は、息も絶え絶えのようだった。病気の詳細はよくわからなかったが、家族の話では認知症の要介護認定を受けているとのことだった。ただ、認知症ではあるものの比較的大人しく、当初は問題行動も起こさず、いびきの音も大したことが無かったので、私の中では気にならない存在であった。ただ、呼吸のたびに四六時中声帯を震わせて「フゥ、フゥ」などと言い続けて、時に痰が絡まって酷い咳をしているさまは、なんとなくつらそうであった。

私の退院前日に、しばらく空いていた隣の病床に若い男性が女性付き添いのもと入ってきた。天皇誕生日で祝日なのに歩いてやってくるとはどういうことだったんだろう。歩いてやってきたことや、看護師の説明では「明日手術」の入院とのことで、整形外科系の比較的軽い疾患なのかもしれないが、全身麻酔という話も聞いたので、そこそこ重い手術をするのかもしれない。しかし、タバコ臭いし、食事制限ある僕の隣でお菓子ボリボリ食うし、女同伴だし、外出時にタバコを吸いたがって看護師に制止されたりするし、暴走老人とはまた違った違和感があった。看護師さんによると、全身麻酔をする前にタバコを吸うことは、痰を吐けなくなる危険性があるので強く禁忌されているのだそうだ。それでも次の日になるにしたがって絶食になり、手術前の慌ただしい看護師の出入りを見る限り、見た目とは裏腹に結構な病気なのだろうと思ったが、入院期間はそれほど長くないらしい。半身麻酔が怖くて全身麻酔を選んだということなのだろうか。私も以前整形外科で手術をしたときに全身麻酔も選択肢で選べたが半身麻酔にした経験がある。手術当日になって、前日の女性と友達とおぼしき男性が面会に来ていた。チラッとみたところ、ロン毛の長髪の男性で、会話を聴いていてもどんな職業の人なのか、にわかに素性がわからなかった。ミュージシャンとかなのだろうか。その人が歩いて手術室に行くと同時に私が退院することとなる。

前の病床の老人は、いびき等の音こそ比較的おとなしいものの、これまた日を追う事に看護師の言う事を聞かなくなり、看護師総出で点滴を打ったり体を起こしたり、大変な思いをしているなという印象を覚えた。何度も繰り返し言っている気がするものの、認知症とは特に周囲にとって大変な病気なのだなと思った限りである。最低限、自分に出来る限りの認知症予防をしようと心に誓った。若くして亡くなったパスカルの言葉「人間は考える葦である」に従って、生きている間は自分の考えをアウトプット出来る人間になりたい、今回病室でまるまる二週間、色々な患者、傍若無人な暴走老人や、特に認知症の患者を見るにつけ、そう心に誓った次第である。

今まで、他の入院患者はうらやましいくらい妻や家族や彼女らしき人が必ず毎日のようにお見舞いに来るという特徴があったが、この老人は、入院当日こそ息子らしき人が説明をしに、また説明をききに訪れたものの、その後誰も来た形跡がなかった。この老人と最初の息子らしき人がどのような関係なのかよくわからないし、どんな家族親戚がいるのかもよくわからないが、普段からのこういう振る舞いを周囲が見捨てているのかもしれないといった印象すら覚えた。それが本当であれば寂しい限りである。

私の退院は12月24日の昼食を食べた後だった。隣の男性が看護師付き添いの元、手術着で歩いて手術室に向かった直後である。病室に残されたのは、前の認知症を併発している老人、そして会社社長らしきOさんであった。退院の挨拶をしようと思ったものの、特に入院患者同士の面識は無かったということと、年越し入院が確定して落ち込んでいるOさんにとって酷かなと思ったで、病室をそっと出た。

まっすぐ1階の会計まで行ってもよかったが、ナースステーションに寄って、お世話になった看護師さん達に2週間のお礼を言った。お世話になった看護師さん全員がいたわけではなかったが「2週間お世話になりました。今いない看護師さんにも本当にお世話になったので、私がお世話になって感謝していた旨、お伝えいただけますか」と看護師さんに伝えて病室があるフロアを後にした。12月24日昼のことである。看護師さんはみんな良い人で、注射や点滴の痛みもない腕の持ち主ばかりで、入院生活の苦痛を最小限にしてもらえた。

1階の会計で入院費用を支払い外に出て、私の12月11日からの約2週間の入院生活と、入院中の人間観察が終わることとなった。

2013/12/18

なにで写真を撮るか、なぜ写真を撮るか

ここ最近のスマートフォンのカメラ機能は進化の一途を極めている。

この流れの中で「コンデジ」と呼ばれるデジタルカメラが危機に立たされている。いわゆる、プロ用途の「デジイチ」とアマチュアがこれで事足りる「スマートフォン」の間に立たされて、帯に短し襷に長し状態になっているのだ。

現在最新のiPhoneも800万画素という高解像度である。一昔前の800万画素は完全にプロユースであった。800万画素で撮られた写真を光沢紙に印刷しても、銀塩のフィルムカメラと比較しても全く遜色はない。

プロ用途の「デジイチ」となると、さらに光学ズームであるとか発色であるとかといった差別化が可能となる。スマートフォンのカメラは所詮はデジタル処理であるものの、デジイチであれば巨大なレンズを装備して光学ズームが可能であったり、発色もスマートフォンのカメラよりも良いと言われている。確かに画素数的にはスマートフォンのカメラで十分な場合が多いものの、それでも画面上で見たり印刷されたものを見たときの発色に目を奪われることが多い。特にスマートフォンが苦手としている空であるとか花火であるとか、そういう画像はデジイチの面目躍如であろう。また、人であるとか肌の質感などを直接伝えたい写真でもデジイチで撮られた写真は説得力を増す。

このような中で「コンデジ」の立ち位置は微妙になってしまった。私もコンデジを持っているものの、ほとんどiPhoneのカメラで事足りる。コンデジを使う機会は、光学ズームが必要であったりする場合に限られるものの、コンデジの光学ズームはそれほど優秀ではないというのが使っていて思ったことだ。まぁ、これは使う人の腕にも左右されるところではあるのだろうが。

ブログに載せたりといった用途では、ほぼスマートフォンのカメラで撮影できる写真の解像度や品質で問題ないだろう。それにコンデジよりもiPhoneなどのスマートフォンのほうが肌身離さず携帯しているという事実もあり、さらにコンデジの立ち位置を微妙にしている。一般人がコンデジやデジイチを持つ理由が無くなりつつあるように感じる。

今後コンデジはどうなっていくのだろうか。立ち位置を明確にできなければ、今後数年間の間にスマートフォンかデジイチの市場のどちらかに吸収されてしまうのではないかとすら思える。スマートフォンのカメラの高機能化、またデジイチの小型軽量化による大衆化。それはどちらも楽しみな進化である。

話は変わるが、なぜ私たちは写真を撮るのだろう。

私はどちらかというと外見にコンプレックスを持っている人なので、子供の頃から写真に写るのが非常に嫌だった。今もあまり得意ではない。なので成人するまでの私の写真は非常に少ないはずだ。社会人になって普通に仕事をしている分には、写真を撮られる機会は格段に減った。ただ、ここ数年は勉強会やカンファレンスで発表したりするときに撮影されたりする機会も多く、それは許可している。人によっては「撮影NG」という人もいるが、まれな部類であろう。そこまでして拒絶しなくても私はいいかなという考えである。

ただ、被写体として写真に写った自分を見るたびに、学生時代から老化が進んでいるなと悲しい気持ちになる。最近では外見の若返りといったアンチエイジングが流行していたりもするし、運動をすることで新陳代謝を良くしていくという作戦もあるので、まさに写真に撮られる事が「若返りへの動機付け」となっている部分が大きい。しかしながら、主だった活動がまだできていないのが心残りであるが、それは来年2014年の課題としたい。

勉強会やカンファレンスに出た際は、自分自身がスマートフォンででもなるべく写真を数枚は撮ることにしている。その時の雰囲気を他の人に伝えたい場合、どんな言葉よりも写真に撮られた会場の風景が説得力を持つことも多いからだ。そういう積み重ねを他の人にも見てもらえることで、勉強会に足を運んでくれる人が一人でも増えれば良いと考えてのことである。また、プレゼンテーションをする際に、過去の勉強会の記録であるとか、自分が撮影した写真というものは使い勝手が良い。他人が撮影した写真はとかく権利問題があったりして使いづらい部分もあるので、日頃から人前でプレゼンテーションをする人は、自分用の素材として写真を撮ることを習慣づけると良いと感じたのもここ数年のこと。

自分一人の思い出であれば記憶力が良ければ頭で覚えておけばよい。しかしそれでも、人は概して忘れやすい生き物である。忘れやすい自分自身の精巧な外部記憶として、また他の人との過去の記録の共有手段として、写真は非常に効果的だと最近は痛感している。自分が被写体になることにコンプレックスを抱いていて写真全体を拒絶していた頃とは考えが随分変わった。

その他にも、写真が持つ芸術性であるとか、様々な理由で人は写真を撮るのだろう。「なぜ写真を撮るか」という簡単ではあるが考えるとちょっと悩む質問ではあるが、もしこれといった回答があれば様々な方から聞いてみたい。

写真をたくさん撮影すればするほど、その管理に頭を悩ませる人が多い。この部分については決定打といったものが存在しないようで、皆がそれぞれの方法で写真を管理しているようだ。私も写真は撮りためたものをスマートフォンに入れっぱなしにしている。何か良い管理方法を実践している人がいたら、ぜひともご教示願いたいところだ。