2013/12/25

入院中の人間観察

2013年12月11日から1週間以上入院することになった。急性の胃潰瘍。近所の内科で胃カメラを飲んだあと、入院施設のある病院へ救急車で搬送され、緊急入院となった。

入院中の詳細であるとか、病状の詳細については別のブログにまとめようと思うが、ここでは大部屋の入院中に出会った同室の人達の人間観察の結果を書いてみようと思う。

ちなみにお約束ではあるものの、ここで書かれる人達は個人情報を伏せた形で書かれている。

12月11日に緊急入院してからの最初の数日は、とにかく自分自身が意識朦朧としていて、人間観察をする暇すらなかった。ただ、これからも抱き続ける感覚ではあったのだが、とにかく「同室の人のイビキがうるさい」「老人しかいない」というものであった。若い人も時々入院してきたものの、まぁ入院する人、だいたいは身体が弱った老人なんだろう。また私は普段から不眠の症状があるので、先に入眠したとしてもイビキの爆音で起こされるといったことが度々あった。耳栓を買ってきてもらい、それでだいぶ緩和されたものの、それでも浅い眠りは続いた。そもそもカーテン一枚で仕切られ、看護師さんが夜も出入りする大部屋の「個人環境」は、私の性に合わなかったのだろう。

部屋は4人部屋であった。私のベッドの位置関係には「隣」「向かい」「斜め向かい」という3つの病床がある感じだ。

最初に緊急入院で搬送されてきた数日間は、周囲3人は「死にそうな老人しかいない」という印象であった。実際に危篤というわけではないが、弱りきって生気がない、返事も満足に返せない老人とでもいおうか。自分自身もまた、潜在的な貧血と胃カメラをはじめとした検査の連続、そして慣れない入院生活の始まりに、だいぶ衰弱していたことは事実だ。

斜め向かいの人が退院していって3人になったと思ったのもつかの間、空いた病床にひとりの男性が入院してきた。40台前半と思しき「若い」男性だ。腸の検査の後の入院なのか、一泊二日で帰っていったが、両日ともに妻や数名の子供がやってきて、家族の温かみを感じた。話を横耳で聞いていたところ、会社の社長か役員といった立場の方で、仕事関係の人もちらほら来ていたようだ。家族と会社、この両輪でサポートされている男性に大いにうらやましさを覚えた。また若くて会社の偉い人という立場からか会話もうまく、看護師さんとの雑談もうまいという印象だった。昔はチャラかったのかもなとか邪推してはみるものの、それが40台で家族にも会社にも恵まれて「円熟している」さまは順風満帆な人生であろう。

私が入院当時から向かいにいた老人は、病気の詳細はよくわからなかったものの、入院当時よりも相当元気になったということが看護師から語られていた。それでもヨボヨボ具合を声から感じたりするものだから、普通に老いるとこうなってしまうのかという複雑な思いもあった。尿道に差し込まれた管が痛いとずっと言っていたが、息子さんが泌尿器科の看護師とのことで、泌尿器科が無いこの病院内では一番のアドバイザーになっていたのも興味深かった。看護師の指示には従わないことが多かったものの、息子や妻の言葉には素直に従うところ、家族関係はうまくいっているのだろう。私の入院から数日を経て、その老人は退院していった。正確に言えば、別の病院の泌尿器科にそのまま直行になったようである。

入院当初から隣の人のイビキに悩まされていたが、友人知人のツテを頼って買ってきてもらった耳栓と、その人が比較的すぐ退院していったことによってひとまずの解決を得た。結局最初の隣の人の病状の詳細についてはあまり良くわかっていなかった。自分自身も最も朦朧としていた時期だ。無理もない。

斜め向かいの40台の男性が退院していったあと、そこには骨折で入院してくるOさんが入ることとなった。この方もまた会社の社長らしく、入院当時は家族だけでなく会社関係の方も多数入れ替わり立ち代わりお見舞いに訪れ、また長期間の入院となる事が予想できたことで、業務引継ぎのための会社の社員の方も頻繁に訪れていた。Oさんは、当初はその痛みそのものに強く怒り、その怒りを看護師にぶつける事が多かった。また「部下」と思しき人物への業務引継ぎ時にも激を飛ばす事も多く、元々気性が荒い人なのかなという印象を覚えた。ただ、妻が毎朝お見舞いに来て、その素行についてたしなめる発言を何度もしたことで、だいぶ態度が軟化していった。「入院してお世話になる立場なんだから看護師さんや会社の人へ上から目線はやめなさい」などと。妻の力は偉大だと感じざるをえない。妻は実際は最も心の支えであり、怒りで隠された本当の内心は心細かったのであろう。発言を聞いていると、この歳になるまで入院は初めてだとか、暗に不安を語る発言も多かった。

その後のOさんは、痛み止めで痛みを制御され、看護師さんへの親切に触れるたびに態度を軟化させていった。妻の提言も大きかったのだろう。お礼やお詫びの言葉も出るようになった。後日行われた手術は数時間に渡る大手術であったようだが、手術疲れや諦め、また的確に効いている痛み止めなどの効果もあって、入院当初から比べたら見違えるほど温厚な性格になった。リハビリが長引きそうで退院は年越しになることを残念がっていたが、本当に頑張ってほしいし、良い家族と会社の人達に囲まれている幸せな人だと感じる。入院という人生初の体験もこの人にとって無駄じゃなかったんだと思える。会社での地位が社会での地位ではないということ、これは会社で中途半端に偉い老人が勘違いしてしまう病気のようなものであるが、こういう家族とも会社とも違うコミュニティに触れることで違う価値観がこの年齢になっても生まれるということは、人間まだまだ捨てたものじゃないと思わされた。

空いた隣のベッドには、程なくして新しい人が入ってきた。最初は足の病気とのことだったが、どうやら糖尿病の諸症状の一つであったようだ。この人は本当に外に出たがっていて「仕事の都合で数時間だけ」と看護師に頼み込んで一時外出を一度した。ただ、戻ってきてから血糖値を測られたときに、一時外出時に甘いものを食べたことが看護師に発覚して、看護師から叱られることとなる。身体と機械の数値は正直である。私はこの時、睡眠不足でうとうとしていたのだったが、看護師さんの怒号に驚いて目が覚めた。この後も平身低頭な性格であるが反省はしないその患者に、看護師さんが代わる代わる来て糖尿病の恐ろしさを説く様は、私も糖尿病の恐怖について詳しくなることとなった。しかしその人、最後まで自分の生活習慣を改めて糖尿病を治そうという真剣な態度が無かったように思う。糖尿病自体は別の病院に罹っているとのことであるが、この先思いやられる人であった。このまま行くと、両手足切断と人工透析の末がみえている。健康第一であるし、糖尿病は一生付き合っていく必要のある病気であることが分からないらしい。ただ、足の病気自体は大したことがなかったのか、次の日には妻らしき人がやってきて一泊二日の入院生活を終えていった。

私の前の病床には新しい男性が入ってきた。この人も40台とおぼしき若い男性である。病状はよくわからなかったものの、開腹手術が必要なほどの人らしい。ただ、現在は入院時に比べて薬と点滴で穏やかになっているからなのか、この人もやたら外に出たがる人であった。ただ、その人はパソコンを病室に持ち込んでいることや、医師や看護師との交渉の過程でもかなりの働き盛りであることが伺え、「2時間程度の会議にでもでなくては」といったことを言っていた。ただ病院側としては開腹手術が必要なほどの症状であることを含めて難色を示していたものの、手術が年末で入院が年を越す事もあって、外出許可を出すこととなったらしい。働き盛りの男性とは大変であると同情する反面、こういうときのために属人化の解消をしていなかったのかという疑問もある。会社の重役であればまだしも、その人はそういう感じでもないようだった。しかもこの人、いびきが猛獣レベルでうるさくて本当に敵わなかった。耳栓をしていても時々聞こえるけたたましい音に、一日一睡もできない日ができたくらいであった。たぶん40台であのいびき、ちょっと別の意味でまずいのでは、と思わされるくらいであった。程なくして何かの事情か、別室へ移っていった。安眠が戻ってきたと思った瞬間だった。

12月20日になった朝方、この日はよく眠れて5時過ぎにトイレで目が覚めた。眠っている間にカラだったはずの隣の病床に救急患者が運ばれてきたようで、トイレでカーテンを空けたところでその老人である救急患者が血を流しながらトイレに向かっているのを看護師達が必死で制止しているのである。びっくりしつつ、一人の看護師さんから別のトイレを案内され、そこで用を足した。その後もこの老人の「言う事を聞かないっぷり」に看護師さん達は翻弄され続けたようだ。こういう老人、入院中にも行動の大小あれ結構いる印象を覚えたものの、ボケているのか言っても忘れるのか(同じ意味?)、本当によくわからない。人間、人から言われたことを咀嚼して理解できなくなったらあんな哀れなことになるのかと思ったと同時に、自分はそういう老い方をしたくないと痛感した次第だ。症状は胃からの吐血とのことで、私と同じ胃潰瘍のような感じであった。私もあのまま放置していたら吐血して倒れたと考えるとゾッとする。流血事件そのものは吐血ではなく、点滴などの管を引きちぎって移動しようとしたことによるもののようだった。

「朝の流血事件」を起こしたこの患者、振る舞いは無礼ではないものの全く看護師の言う事を聞かずに何を考えているのか、その後も午前中自由奔放を振る舞った挙句、また看護師の制止を振り切って(自分の)流血事件を起こしたため、家族同意のもと個室へ軟禁される事となったらしい。私はその時「午前の散歩」と称して歩行許可が出たあとの日課として病院内を歩いて運動していたので、昼食時に病室に戻ったらその人はおらず、血で汚れた仕切りのカーテンでその惨状を垣間見たのであった。看護師さんに「お騒がせしました」と言われても「あぁ、そんなことがあったんですか」と言う他なかった。

入院当時から賑わっていた大部屋は、この時Oさんと2人になった。血で汚れたカーテンを看護師さんが回収して見晴らしが良くなったので、ちょうど洗面台の前に来たOさんの妻と目があって少し会話をした。押しの夫と引きの妻とでもいおうか。時に強く会社を支える夫とバランスを取るように、平身低頭で物腰語り口の柔らかな奥様であった。携帯電話の充電器などのデジタル機器は揃っているので、入院中困ったら声をかけて欲しいと言っておいた。私の業界だけでなく、何事もギブアンドテイクの世界。困ったときはお互い様である。

その後、前の病床に入ってきた老人は、息も絶え絶えのようだった。病気の詳細はよくわからなかったが、家族の話では認知症の要介護認定を受けているとのことだった。ただ、認知症ではあるものの比較的大人しく、当初は問題行動も起こさず、いびきの音も大したことが無かったので、私の中では気にならない存在であった。ただ、呼吸のたびに四六時中声帯を震わせて「フゥ、フゥ」などと言い続けて、時に痰が絡まって酷い咳をしているさまは、なんとなくつらそうであった。

私の退院前日に、しばらく空いていた隣の病床に若い男性が女性付き添いのもと入ってきた。天皇誕生日で祝日なのに歩いてやってくるとはどういうことだったんだろう。歩いてやってきたことや、看護師の説明では「明日手術」の入院とのことで、整形外科系の比較的軽い疾患なのかもしれないが、全身麻酔という話も聞いたので、そこそこ重い手術をするのかもしれない。しかし、タバコ臭いし、食事制限ある僕の隣でお菓子ボリボリ食うし、女同伴だし、外出時にタバコを吸いたがって看護師に制止されたりするし、暴走老人とはまた違った違和感があった。看護師さんによると、全身麻酔をする前にタバコを吸うことは、痰を吐けなくなる危険性があるので強く禁忌されているのだそうだ。それでも次の日になるにしたがって絶食になり、手術前の慌ただしい看護師の出入りを見る限り、見た目とは裏腹に結構な病気なのだろうと思ったが、入院期間はそれほど長くないらしい。半身麻酔が怖くて全身麻酔を選んだということなのだろうか。私も以前整形外科で手術をしたときに全身麻酔も選択肢で選べたが半身麻酔にした経験がある。手術当日になって、前日の女性と友達とおぼしき男性が面会に来ていた。チラッとみたところ、ロン毛の長髪の男性で、会話を聴いていてもどんな職業の人なのか、にわかに素性がわからなかった。ミュージシャンとかなのだろうか。その人が歩いて手術室に行くと同時に私が退院することとなる。

前の病床の老人は、いびき等の音こそ比較的おとなしいものの、これまた日を追う事に看護師の言う事を聞かなくなり、看護師総出で点滴を打ったり体を起こしたり、大変な思いをしているなという印象を覚えた。何度も繰り返し言っている気がするものの、認知症とは特に周囲にとって大変な病気なのだなと思った限りである。最低限、自分に出来る限りの認知症予防をしようと心に誓った。若くして亡くなったパスカルの言葉「人間は考える葦である」に従って、生きている間は自分の考えをアウトプット出来る人間になりたい、今回病室でまるまる二週間、色々な患者、傍若無人な暴走老人や、特に認知症の患者を見るにつけ、そう心に誓った次第である。

今まで、他の入院患者はうらやましいくらい妻や家族や彼女らしき人が必ず毎日のようにお見舞いに来るという特徴があったが、この老人は、入院当日こそ息子らしき人が説明をしに、また説明をききに訪れたものの、その後誰も来た形跡がなかった。この老人と最初の息子らしき人がどのような関係なのかよくわからないし、どんな家族親戚がいるのかもよくわからないが、普段からのこういう振る舞いを周囲が見捨てているのかもしれないといった印象すら覚えた。それが本当であれば寂しい限りである。

私の退院は12月24日の昼食を食べた後だった。隣の男性が看護師付き添いの元、手術着で歩いて手術室に向かった直後である。病室に残されたのは、前の認知症を併発している老人、そして会社社長らしきOさんであった。退院の挨拶をしようと思ったものの、特に入院患者同士の面識は無かったということと、年越し入院が確定して落ち込んでいるOさんにとって酷かなと思ったで、病室をそっと出た。

まっすぐ1階の会計まで行ってもよかったが、ナースステーションに寄って、お世話になった看護師さん達に2週間のお礼を言った。お世話になった看護師さん全員がいたわけではなかったが「2週間お世話になりました。今いない看護師さんにも本当にお世話になったので、私がお世話になって感謝していた旨、お伝えいただけますか」と看護師さんに伝えて病室があるフロアを後にした。12月24日昼のことである。看護師さんはみんな良い人で、注射や点滴の痛みもない腕の持ち主ばかりで、入院生活の苦痛を最小限にしてもらえた。

1階の会計で入院費用を支払い外に出て、私の12月11日からの約2週間の入院生活と、入院中の人間観察が終わることとなった。

2013/12/18

なにで写真を撮るか、なぜ写真を撮るか

ここ最近のスマートフォンのカメラ機能は進化の一途を極めている。

この流れの中で「コンデジ」と呼ばれるデジタルカメラが危機に立たされている。いわゆる、プロ用途の「デジイチ」とアマチュアがこれで事足りる「スマートフォン」の間に立たされて、帯に短し襷に長し状態になっているのだ。

現在最新のiPhoneも800万画素という高解像度である。一昔前の800万画素は完全にプロユースであった。800万画素で撮られた写真を光沢紙に印刷しても、銀塩のフィルムカメラと比較しても全く遜色はない。

プロ用途の「デジイチ」となると、さらに光学ズームであるとか発色であるとかといった差別化が可能となる。スマートフォンのカメラは所詮はデジタル処理であるものの、デジイチであれば巨大なレンズを装備して光学ズームが可能であったり、発色もスマートフォンのカメラよりも良いと言われている。確かに画素数的にはスマートフォンのカメラで十分な場合が多いものの、それでも画面上で見たり印刷されたものを見たときの発色に目を奪われることが多い。特にスマートフォンが苦手としている空であるとか花火であるとか、そういう画像はデジイチの面目躍如であろう。また、人であるとか肌の質感などを直接伝えたい写真でもデジイチで撮られた写真は説得力を増す。

このような中で「コンデジ」の立ち位置は微妙になってしまった。私もコンデジを持っているものの、ほとんどiPhoneのカメラで事足りる。コンデジを使う機会は、光学ズームが必要であったりする場合に限られるものの、コンデジの光学ズームはそれほど優秀ではないというのが使っていて思ったことだ。まぁ、これは使う人の腕にも左右されるところではあるのだろうが。

ブログに載せたりといった用途では、ほぼスマートフォンのカメラで撮影できる写真の解像度や品質で問題ないだろう。それにコンデジよりもiPhoneなどのスマートフォンのほうが肌身離さず携帯しているという事実もあり、さらにコンデジの立ち位置を微妙にしている。一般人がコンデジやデジイチを持つ理由が無くなりつつあるように感じる。

今後コンデジはどうなっていくのだろうか。立ち位置を明確にできなければ、今後数年間の間にスマートフォンかデジイチの市場のどちらかに吸収されてしまうのではないかとすら思える。スマートフォンのカメラの高機能化、またデジイチの小型軽量化による大衆化。それはどちらも楽しみな進化である。

話は変わるが、なぜ私たちは写真を撮るのだろう。

私はどちらかというと外見にコンプレックスを持っている人なので、子供の頃から写真に写るのが非常に嫌だった。今もあまり得意ではない。なので成人するまでの私の写真は非常に少ないはずだ。社会人になって普通に仕事をしている分には、写真を撮られる機会は格段に減った。ただ、ここ数年は勉強会やカンファレンスで発表したりするときに撮影されたりする機会も多く、それは許可している。人によっては「撮影NG」という人もいるが、まれな部類であろう。そこまでして拒絶しなくても私はいいかなという考えである。

ただ、被写体として写真に写った自分を見るたびに、学生時代から老化が進んでいるなと悲しい気持ちになる。最近では外見の若返りといったアンチエイジングが流行していたりもするし、運動をすることで新陳代謝を良くしていくという作戦もあるので、まさに写真に撮られる事が「若返りへの動機付け」となっている部分が大きい。しかしながら、主だった活動がまだできていないのが心残りであるが、それは来年2014年の課題としたい。

勉強会やカンファレンスに出た際は、自分自身がスマートフォンででもなるべく写真を数枚は撮ることにしている。その時の雰囲気を他の人に伝えたい場合、どんな言葉よりも写真に撮られた会場の風景が説得力を持つことも多いからだ。そういう積み重ねを他の人にも見てもらえることで、勉強会に足を運んでくれる人が一人でも増えれば良いと考えてのことである。また、プレゼンテーションをする際に、過去の勉強会の記録であるとか、自分が撮影した写真というものは使い勝手が良い。他人が撮影した写真はとかく権利問題があったりして使いづらい部分もあるので、日頃から人前でプレゼンテーションをする人は、自分用の素材として写真を撮ることを習慣づけると良いと感じたのもここ数年のこと。

自分一人の思い出であれば記憶力が良ければ頭で覚えておけばよい。しかしそれでも、人は概して忘れやすい生き物である。忘れやすい自分自身の精巧な外部記憶として、また他の人との過去の記録の共有手段として、写真は非常に効果的だと最近は痛感している。自分が被写体になることにコンプレックスを抱いていて写真全体を拒絶していた頃とは考えが随分変わった。

その他にも、写真が持つ芸術性であるとか、様々な理由で人は写真を撮るのだろう。「なぜ写真を撮るか」という簡単ではあるが考えるとちょっと悩む質問ではあるが、もしこれといった回答があれば様々な方から聞いてみたい。

写真をたくさん撮影すればするほど、その管理に頭を悩ませる人が多い。この部分については決定打といったものが存在しないようで、皆がそれぞれの方法で写真を管理しているようだ。私も写真は撮りためたものをスマートフォンに入れっぱなしにしている。何か良い管理方法を実践している人がいたら、ぜひともご教示願いたいところだ。

2013/11/25

新聞のゴシップ化に我々はどう対応すべきか

子供の頃、新聞というのは正しい事実を伝える高尚な言論機関だと思っていた。学習教材や入試問題に使われたりすることもあって、そういう思いが強かった。

しかしがら、現在はそういう印象を新聞に抱くことは無くなってしまった。大手新聞社の新聞もゴシップ紙と何ら区別が付かなくなった…なんていったらゴシップ紙が怒る時代にすらなってしまった。

大人になって何が変わったか。それはインターネットの登場が大きい。新聞やテレビなどの「マスコミ」と呼ばれるメディアだけが多くの人に情報や主張が出来る時代は終わった。今やインターネット上で誰もが実名または匿名で情報を主張できる時代になった。

その中には、新聞記事の正しさや公平さに疑問を持った議論を目にすることも多くなった。それは子供の頃、またはインターネットという新しい媒体が存在する以前は、あまり無かったのではないだろうか。いわば昔は、新聞やテレビが言った事にそのまま踊らされる民衆という構図を感じる。

インターネットでは風物詩になっているネタの一つに「日本経済新聞の妄想記事」というものがある。日本経済新聞(日経)が有りもしないことを書くというものだ。これもインターネットの登場によって、企業が自社の意見をインターネットを通して大衆に伝えることができるようになった。日経が、とある会社を標的にした憶測記事に対して「一部報道機関による…当社ではそのような事実はありません」というリリースがその会社のウェブサイトに載る、というのは日常茶飯事ではなくなった。しかし世の中、すべての人がインターネットで新聞の裏を取っているわけではない。昔ほどではないが、少なからず新聞の影響力もある。「ひょうたんから駒」とは恐ろしいもので、日経の憶測記事で「傾く」と言われた会社が、それによって本当に株価が下がって傾く事態すらある。風説の流布としか言いようがない、呆れた日経テロである。「ペンは剣より強し」とはよく言ったもので、今の日経がやっていることは「ペンの暴力」に近いとすら思える。

最近では風物詩として笑い飛ばされていた日経の憶測記事の一つに「ドコモでiPhone発売か」というものもある。2013年にドコモでiPhoneが発売され、ようやく「日経の悲願」が達成されたとネットでは笑いものにされていたが、日経は数年前から年に何度も「ドコモでiPhone発売か」と書き、そのたびにドコモから否定のリリースが出るという事態であった。2012年頃にはインターネットで情報収集する人のほとんどは、日経が発する「iPhone」というキーワードが入った記事の信憑性を一切信用しないという風潮すらできた。日経の記者はドコモでiPhoneが発売されて欲しくて病的妄想記事を一心不乱に書いていると主張する人まで現れた。

「日経の悲願」は2013年に叶うことになるが、面白いのはそれを真っ先に伝えたのは日経でなく他の新聞社であったということだった。そしてインターネットで情報収集をしている人達は「あぁ、日経じゃなければ信憑性あるな」と言い、実際にそれは事実となった。日経もこの時後追いで記事を書いたものの、誰の相手にもされなかった事は言うに及ばずである。

2013年、バブル崩壊以降、日本の就職活動は益々厳しさを増している。そんな中、日経は就職活動中の大学生に対して「就職のためには日経を読んで経済を知ることが近道」といったような広告を出している。何となく、コンプレックス産業であったり不安産業であったりと似た手法を感じるのは気のせいだろうか。この風潮にはインターネット以前の中年壮年世代の日経信仰もあって、なかなか若者を苦しめている。この世代は若者を「面接する」側でもあるからだ。インターネットから情報を知り、日経の信頼性の瓦解を痛感している学生も、就職活動という厳しい活動のために、高い金を払って無駄な時間をかけてまで読まないといけない、またはそうするべきだと不安を背景に学生や若者を無理やり扇動している場面があるように思える。

ここまで痛烈にもとれる日経批判を繰り広げてしまったが、それほどまでに日経が自称報道機関として正確性に欠けた情報を節操もなく流し続けている、質の良いとはいえないメディアだと考えざるを得ないからである。文字だけで、これほどまでに人を扇動し、会社や経済活動に迷惑を掛けることができるんだという壮大な社会実験としては興味深いが、それ以上の価値が現在の日本経済新聞と日本経済新聞社には正直見受けられない。日経を片手に持つことがステータスだったバブル崩壊以前、それはインターネットの登場とともに崩壊してしまった神話であろう。

では何を信頼すれば良いのか。

日本の巨大匿名掲示板サイトを作った西村博之氏は「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」という言葉を残した。匿名掲示板には匿名ゆえに嘘やデマが書かれることが日常茶飯事である。その中から本当に役に立つ情報を見つける能力というものが匿名発言の世界を読んできた世代の一定数には備わっている。今やまさに「うそはうそであると見抜ける人でないと(新聞を読むのは)難しい」時代になってきているのかもしれない。

とはいえ、そういう商業活動報道機関の体たらくに辟易とした一部の人によってインターネット上で市民報道機関といった試みが何度かなされたものの、どれもうまくいったといえる事例が存在しないのが事実である。資金力と行動力といった部分では、まだ新聞やテレビの報道機関が優位な点であろう。今後もしばらくは「うそはうそであると見抜き」ながら新聞やテレビなどが発する情報に接する必要がある。

では我々は今後どのようにして報道機関の発する情報に接していけばいいのか。

まず新聞やテレビは全て正しい事を言っているという考えがあればそれを捨てるところから始める必要がある。いまどきそういう考えを持っている人は少なくなってきているとは思うが、まだ新聞やテレビの信頼性は大きい。かの哲学者ルネ・デカルトは「我思う、故に我あり」と言った。自分の存在以外はまず疑ってかかる、という大げさなものであるが、新聞やテレビの信憑性の凋落、またインターネット上にあふれる信憑性の怪しい匿名情報など、今後情報と接する際に「まず疑う」という態度は非常に大切になってくるだろう。平和な日本の国語教育では全ての文章が正しいという牧歌的な世界観であるが、そんな教育では騙されやすい国民を養成するだけになってしまうだろう。学校教育の変革、もしくはそれとは別の教育が今後求められてくるように感じる。

社会に出て成人になると、政治的・思想的に新聞やテレビが必ずしも中立的ではない事を知ることになる。右が正しいか左が正しいかといった議論は置いといて、どんな報道を聞く場合にも政治的・思想的な偏りを加味してそれを頭の中で補正する力が求められるだろう。例えば、とある新聞は政治的・思想的に左寄りである。左寄りが正しいか間違いか自分の思想と合っているか合っていないかは別として、それを知り、それを知った上で情報を補正する力は必要であろう。自分が好む論調をする新聞のみ読むという手もあるが、それはそれで見識が狭くなるし、その新聞が発する情報全てが正しいとは言えないので、結果的に情報の真贋を見抜くスキルは必要となる。真贋入り乱れる情報源が多いからこそ、自分が触れる情報源は多いほうが良いという意見もある。

「どの新聞が最も中立的で最も信頼できるか」という質問に対しては非常に答えづらい。インターネット上の議論を観察していると、大体どの新聞社も定期的にとんでもない論調を繰り広げている事があるからだ。ただ私は日経は勧めない。不安商法で社会人の多くが読んでいる割にはビジネス上ことさら有益な事が書いてあるとは思えないからだ。人生には、他人と同調するのが大切な場面と、他人と同調せず自身を差別化するのが大切な場面の二通りがあるが、どうせ日経なんて誰もが読んでいるんだから、自分なら別の新聞を読んだほうがいいという後者的な考えが私の意見である。日経が良い悪いという議論ではない。ただ、私は日経の「風説の流布」に飽き飽きとしていることは前述でお分かりの通りだろう。読みたい人は読めば良いと思うし、何を読むかは自由である。

「事実を客観的に伝える」「特定の思想を入れない」というのに最も近いのは共同通信社が発する情報であると思うが、残念ながら共同通信社は新聞を発行していない、他の新聞社、特に独自の報道網が弱い地方紙のために報道情報を提供する報道機関のための報道機関だからだ。

今や新聞社もインターネットで情報を発信する時代である。一部の報道に関しては新聞を購読せずとも読める。特に各新聞社の色が出るのが社説で、各社の社説を読んでいるとその思想の違いが現れて面白い。ただ、特に地方紙の社説とかは、時に何を血迷ってこんな文章を書いたんだと甚だ驚くような思想以前の文章が載っている事があって、「国語の入試問題にも使われる」社説というのは一歩間違えると色々危険だなと思う事もしばしばある。社説の雛形というものも共同通信社から地方紙に配信されていると聞くが、丸写しはできないはずなので、社説には地方紙の考えと記者のレベルが露骨に表れる。それだから怖いし、真贋を見極められるだけの読解力を持っていると逆に面白いと言える。社説を読んで「これゴシップ紙じゃ…」と声を出して言ってしまう事も結構ある。強引な論理展開を楽しんだり、情報の真贋を見極める力がそこそこある場合は娯楽メディアであるともいえよう。ただ、高校生向けの入試問題等にはして欲しくないと真に願うばかりである。

前述の「ドコモiPhone」、日経が報道するたびにインターネットでは「またゴシップ紙が」といった論調が出るのだが、実際のゴシップ紙の一つである東スポ(東京スポーツ)はインターネット(Twitter)上で「私たちがやるならイタコでジョブズ(iPhoneを発売するApple社の最高経営責任者だった故人)降臨ですよ」などと日経を揶揄し、日経のようなものと一緖にされるのを酷く嫌う発言をするくらいだから、本当に楽しい。日経をゴシップ紙というのは本当のゴシップ紙に失礼だというのが冗談ではないのは、今の日経の状態と、日経に対する皮肉以外の何者でもないだろう。

私もそうだが、嘘の情報に踊らされて、それを拡散した経験がある人は少なくないだろう。そんな中で、人は「全ての情報が正しいわけではない」という学校では習わなかった事を学んでいく。今後はそういう事も若いうちから習うことになるのだろうか。とかく日本の国語教育は小説偏重で、大人になって技術書や説明書などの日本語で書かれたあらゆるジャンルの文書を読む際の配慮が本当に不十分だと常々思っている。それ以前に、情報の真贋といった部分を教育する必要があるというのが、インターネット上にあふれる真偽不明な匿名情報以前に、新聞という「権威のある報道機関」と接するための素養として必要であるというのは、なんと皮肉なことかと思わされるのだ。

2013/11/14

座右の銘は「人間は考える葦である」

人生の要所要所で聞かれるものの一つに「座右の銘」がある。

本当に自分の人生の教訓として日々肝に銘じている人、たまに聞かれるから回答を準備しているだけの人、今日この文章を読むまで気にしたことが無かった人、色々な人がいそうではある。

私は高校時代から数学が好きで、大学時代に数学を専攻していたこともあって、哲学者であり数学者であるパスカルの「人間は考える葦である」という言葉が非常に好きだった。まだ座右の銘を聞かれない年齢からそうだったものの、社会人になってからもその言葉が好きだったので、自然と座右の銘にしている。

「人間は考える葦である」とは、パスカルが晩年に書いた断片の中の一節で、それが後世「パンセ」と呼ばれる断片集に収録されることになった。この「人間は考える葦である」を収録した断片の全文はもう少し長い。色々な和訳があり、解釈も様々であるが、この部分の解説は哲学に詳しい人に譲ろうと思う。

葦であるというのは、この断片の全文の中に登場する「宇宙」との関わりである。人間は宇宙や自然、それに病気などの運命的要因によっていとも簡単に押し潰されてしまう存在であることを言っている。文字通り、人間が生身で宇宙に放り出されたら一瞬で死んでしまうことだろう。パスカル自身、終生病弱であり40歳を迎えず亡くなったことから、日々病魔と戦う中で、病気に抵抗するのではなく、病気と共に細々と生きていくという意味も葦という喩えに込められているという人もいる。強風で木々は折れたりするが、葦はしなることはあっても、風が止めばまた元通りになる。弱いものを形容する方法は様々だが、パスカルが葦という題材を選んだのはそういう理由なのかもしれない。

そして、パスカルが言う「宇宙」はいとも簡単に人間を押し潰してしまうが、人間は考えることで宇宙を包むことができるという。2013年現在、宇宙というものの大部分が未知の領域であるものの、人間は考えることを繰り返して宇宙というものの全貌を知ろうとしている。最近であればヒッグス粒子の発見などが記憶に新しい。この下りは、「宇宙」という単語と「考える」という単語の原文のフランス語で発音か綴りが掛かっているという話を聞いたことがあるが、それが正しいものか、またどういったものかは覚えていない。

私が非常に共感している事は「考える」という部分である。全てのことにおいて、楽しい事を切り開いたり困難を打開したりすること、それら全てがまず「考える」という活動から始まる。考えるということは理性的である人間の重要な活動であり、また私が最も重要視していることの一つでもある。それは数学や哲学のみならず、全ての人間の活動で重要なことであろう。

突然だが、数学や論理学には対偶という概念がある。「PならばQ」という命題が真であれば「QでないならばPでない」という命題も真であるというものだ。「人間は考える葦である」を対偶命題にしてみると面白いというか恐ろしい。人間が宇宙に押し潰されてしまうことは自明なので葦の下りは簡潔化のために省いて対偶命題にしてみると「考えなければ人間ではない」となる。人間は日々考えなければならないのだ。考えることをやめてしまうと、ある意味人間としての主体性を失っていると言われても仕方が無いように思える。確かに仕事上でも考えることを怠りがちな人と会話をしていると、人間と会話している気がしない、出来そこないの人工知能と上辺だけの日本語を交わしているだけの気分になる。

考えすぎることでネガティブ思考を持ってしまうことも良くない。私はつい考えすぎてその罠にはまることが多く反省することたびたびではあるが、人生を楽しくするアイデア、仕事を豊かにするアイデア、そして人々を幸せにするアイデアは、日々考えることを突き詰めないと出てこない。「ひらめき」という言葉もあるが、ひらめき自体も日々考えることが下地になっていることが多く、毎日何も考えず突然ひらめくということは無いように思える。やはり日々考えることは大事だ。

数学者としてのパスカルも見習いたい。数学は万物を解明するための基礎理論である。社会人になって怠りがちである基礎の勉強もしなくてはならないと、この文章を書きながら思った次第である。数学は考える絶好の教材だ。

晩年のパスカルではないが、日々困難が多い現代社会、私は弱い葦のような人間であるが、宇宙が与える運命を受け流しつつ、考えることでそれを打開して少しでも社会に貢献したいと思う今日この頃である。

2013/11/12

2013年の東京の気候に想う

2013年11月12日。ここ数日の東京は強風が吹きすさび、最低気温が1桁台にまで落ち込むことが多くなった。

思い返せば今年の「東京の夏」は暑かった。いや日本全国が記録的猛暑に見舞われた。

よく私は東京の5月から半年近くにわたる暑くてたまらない季節を「灼熱地獄」と言っている。暦の春夏秋を逸脱しているとすら思う。私は北海道出身であるが、東京というか北海道以南には「梅雨」というものがあって、それもまた蒸し暑い鬱陶しさに拍車をかけている。気温は20度台でも汗が蒸発しないのだ。不快極まりない。

しかし思い返せば、9月末に大きなイベントがあった時、また一段落ついて10月上旬頃も、外を少しでも歩けば暑くて手持ちのタオルで顔の汗をぬぐっていた気がする。10月下旬になって「そういえば外を数分歩いても汗をかかなくなったな」と思った途端、外を歩く人達はコートを着ていた。「東京の秋」は何日あったんだという変わり様である。言えることは10月中旬は秋だった、という位である。

北国で18年育ち、寒さに強い私も、防寒具を着ないで1桁台の気温の中で強風に煽られると体温が奪われてしまう。さすがに寒さに強い人も所詮は恒温動物であり、体温を1桁台にしようとする力には屈してしまうだろう。ここ最近は風が強いときは防寒具を着ている。

北海道の内陸の真冬の寒さはマイナス10度を下回るわけで、東京の1桁台の気温なんて大したことないと思ってはいたものの、幾年も生活していると、いくつかの意味で北海道の真冬よりも過ごしづらいことがわかった。

まず、北海道では外を歩かない車社会であるが東京は交通機関を渡り歩くということ。また住居の気密性が北海道に比べ格段に劣るので、室温がすぐ外気温に影響されることと、暖房の効率が悪いということ。また北海道感覚でいうと1桁台の気温というのは秋の中間的季節のものであり、北国的感覚では着るものが中途半端なままの季節が東京では数ヶ月続くということ。また、個々人の感覚や比較方法によっても変わってくるとは思うが、積雪が無いからか湿度が下がりがちでからっ風が吹くということ。関東平野という場所にあるとはいえ、高層建築物が巻き起こすビル風などの要因もあるのだろう。

私が住んでいた北海道帯広市とその周辺は完全に内陸だったからか、「東京の冬」に比べて風が吹いたりする頻度は少なかったように感じる。もちろん西の山脈から吹き下ろされる風や地吹雪といった天気もあるが、それほど頻繁ではない印象を持っている。また車社会なのでそんなことは関係ないということもあるだろう。

北海道から東京に来た多くの人は「風が乾燥していて北海道よりもある意味きつい」という。東京はすぐ近くに海があるのに意外な感じもするが、風が陸地の西側や北側から吹くことが多いのでそうなのだろう。上述の通り、北海道は気温こそ極寒で飽和水蒸気量も少ないものの、積雪のおかげで湿度は保たれているという感じもする。

今年の夏の北海道は暑かったらしい。全国的な記録的猛暑である。それでも東京とは違い「熱帯夜」というものは圧倒的に少ない。温暖化の影響か今年の記録的猛暑かは分からないものの、十数年前は全くなかった「北海道の熱帯夜」が最近ではそこそこあるという。それでも半年続く「東京の灼熱地獄」よりはマシであろう。東京の8月は、外で玉子焼きができそうな気温であるが、8月の北海道は心地良い。夜は気温が10度前後に落ち込んで寒いことすらある。

気候面でも東京は、他の北や南の日本の都市に比べて過ごし辛いと思う。南、赤道に近づけば近づくほど暑くて嫌気がさすと思っていた時期が私にもあったが、東京より沖縄のほうが涼しい天気予報を何度も見て、そういう印象は払拭した。人口密集が世界有数の東京という都市ならではなのだろう。

灼熱地獄の中で半年も汗をかいていると、正直「北海道に戻りたい」と思うこともちらほらある。ただ、東京は色々なものや情報が集まっている。特に物流の発展で、物は多少待てば日本中どこでも実物が手に入るが、情報は待っても本当の「実物」が手に入らない。これほどまでにインターネットが発達して情報化社会になった今でも、実際に人と顔を合わせて情報交換することが最も良い情報を入手する手段であることを痛感している。動画であったり音声であったり文章であったり、情報伝達の手段は色々あっても、現地にいること以上に良質な情報を得る手段はない。また、東京という日本の首都が持つビジネス等のスピード感は若いうちに経験しておきたいという気持ちもある。滝のような汗をかいても東京という場所に住んでいる価値はあるのだ。

本当であれば、日本全国に人々がほどよく散らばって、特定の都市に極度の一極集中をしないほうが良いのだと思う。その分、交通が発達して安く早く移動ができて、日本全国の人が気軽に集まれる生活基盤があることが理想であるものの、それは近い将来の話ではなさそうだ。

最近では、福岡や札幌といった地方都市が栄えて、そこに定住しつつ、東京の人と関わる必要のある普段の仕事はネットを使って行い、用事がある場合は気軽に格安航空券での東京との往復をするという生活スタイルをする人も増えていると聞く。東京と福岡・札幌間の航空券はドル箱路線であるゆえに、他の地方都市に比べて安く、鉄道より早い。また家賃や物価などが東京に比べて安いというのも、東京との交通費にあてられる側面だろう。収入が少なくてもそういう生活スタイルが確立できるのであれば、私も福岡や札幌を拠点に活動したいと常に思う。

上述のような地方都市を拠点とした首都圏との関わりができないうち、また身体が耐えられる若いうちは、一瞬の春と秋と半年近いの灼熱地獄がある東京で、情報の刺激を受けて修行するのが良い、そんな考え方をしている。

とかく批判されがちな東京一極集中であるものの、それによって発展があるということや効率的な部分もあるので一概に否定はできないだろう。希望を言えば、もう少し涼しい場所に一極集中してくれれば…とは思うが、それは私個人の夢としてしまっておきたい。

2013/11/05

1日1時間だけ開いている不思議な自転車屋

子供の頃は自転車生活だった。自転車があれば遠くまで行ける。交通機関に乗るお金もない、自動車も運転できない、子供の必須ツールである。

そんな中、頼りになるのは自転車屋だ。パンクであるとか調子が悪い自転車を修理してくれたり、役立つ存在である。ただ、私が子供の頃住んでいた場所は田舎で、少なくとも徒歩圏にある自転車屋は一軒しかなかった。故障した自転車に乗って自転車屋に行くわけにはいかないわけで、徒歩圏に自転車屋があることは重要である。

その自転車屋は、自宅から徒歩数分の場所にあった。ガレージを改造したような内装で、多少の油っぽさが機械的な感じを漂わせた。今思い出しても懐かしい場所である。ちなみに、その自転車屋は2013年の今は建物は取り壊された後で、存在そのものが無くなっている。

その自転車屋は、小学校高学年になるくらいまでは普通に日中に営業をしていたのだが、ある時を境に店が空いている事を見ることがほとんど無くなってしまった。

自転車屋自体は行動圏内にあったので近くを通るたびに観察していると、夕方以降照明が灯っていることがある。特に用事は無いものの、恐る恐る入ってみると、いつも店を切り盛りしていた30代くらいのお兄さんがいて「最近は営業日も定まっていなくて、営業できても夕方1時間くらいなんだよ」というようなことを言っていた。

その後、祖父母か親戚に話を聞いたら、そこの自転車屋のお兄さんは工場務めを始めたらしく、いわば工場務めのほうが本業で、自転車屋稼業は近隣の住民のために細々とやっている副業という感じになっているようだった。そんな自転車屋も、次第に営業すらしない日が増えていき、事実上の閉店状態になってしまい、近隣の人達にも気にされなくなった。

私も高校生になり、行動圏内が広がり、高校近くの自転車屋で自転車の修理やメンテナンスを行ってもらうようになり、その不思議な自転車屋のことを思い出すことも無くなってしまった。

高校時代は受験等で忙しく、既に不思議な自転車屋のことを気にすることが無くなったものの、この頃に区画整理でその不思議な自転車屋の建物自体が取り壊されることになったのだと思う。本当、知らないうちに無くなっていた。あの工具で汚れた油っぽい敷地も綺麗になり、今は普通の住宅地になっている。

最近、このことを思い出して、いくつか考えるところがあった。

一つは「副業」の事だ。その自転車屋は自転車こそ売っていたものの、仕事の大半は近隣住民の自転車の修理やメンテナンスだったと思う。そこから得られる収益たるや、想像するまでもなく少ないだろう。そこそこの田舎である。自転車もそう毎日飛ぶように売れるとは思えない。お兄さんを工場という「副業」へ駆りだし、そして副業と本業が事実上入れ替わるまで時間はかからなかったのだろう。

もう一つは「その後も細々とでも自転車屋を続けていた」事だ。休業日の方が多い、開店していても1日1時間、それでも細々と続けていたのは近隣住民のためを思ってのことだったのだろう。私もその空いている1時間を狙って修理をお願いしに行ったことがある。こちらは既に「副業」ですら無く「地域貢献」の一環だったのだと思う。

かたや私たちの世代が生きている今の時代は、長い不況から抜け出せないでいる。給料も上がらず、高齢化社会が進むばかりで年金制度を維持するために税金だけは非情にも上がり続けている。一人暮らしをしていても貯金はも貯まらず、夫婦も共働きを強いられる。この現状に打開策もなく、時には副業を考えたくもなるものの、多くの企業は副業を禁止している。それは当然であるという意見もあるだろうが、本業に支障が出ない範囲で副業を認める事で従業員が豊かになり精神的余裕が出てくる可能性もあるのではないだろうか。また副業によって視野が広がったりする副次的作用もあるだろう。節度ある副業許可は悪いことではないと思うのだが、多くの企業はそうは考えない。もし副業のほうが「本業に支障をきたす」事があれば、それは副業のほうが本業としてふさわしいとも言える。

多くの「副業禁止規定」は、何が副業かということが明確になっていない場合が少なくないということも疑問に思うことだ。今のネット時代、パソコンがあれば工夫次第で身体を動かすこともなく短時間でそこそこの収入を得ることもできるものの、いったいどれくらいのコストと対価が発生したら副業にあたるのか全く分からない場合が多い。

もう一つ、「不思議な自転車屋」に習うことができるのは、「副業」が社会貢献や地域貢献になる可能性があることだ。週末に自分の知っている知識を教える、ブログ等を執筆する、体の不自由な人に手を差しのべる、等々といった活動は社会貢献や地域貢献と言っても差し支えないものだろう。副業禁止規定の線引きの曖昧さは、こういった社会貢献や地域貢献の機会を奪う可能性のあるものとして、非常にもったいないと感じる。副業禁止を批判するつもりはないものの、「対価が得られる社会貢献活動」は多くの人にとって有意義なものであり、一企業として推進とはいかないまでも、それを頭ごなしに制限する事は社会的な損失とも言える。

私も1日1時間は私的な時間で仕事とは関係ない、公開して使ってもらうためのプログラムをしたり、ブログを執筆したりしている。アフィリエイトなどで多少の対価が出る場合もあるものの本当に小銭程度であるが、執筆したものを読んでくれる人がいて役に立ったと思ってもらえれば多少の社会貢献になったと言えるだろう。世の中にはこういう活動を「目立ちたいだけでは?」と侮辱する人もいるようだが、そういう人も今やネットで情報を検索している。検索して出てきた結果はそういう「社会貢献」をしている人によって書かれたものであって、有り難がることはあっても侮辱する事は言語道断であろう。すべての人がそうであるかは分からないが、多くの人にとって目立つことは副次的作用であり、純粋に自分の発信した情報が役立ってほしいという想いによって成り立っているように思える。

いつ「区画整理」があるか分からないが、私も1日1時間でも時間を作って、自分の持っている情報を公開したりといった社会貢献と言える活動を微力ながらしていきたいと、在りし日の不思議な自転車屋を思い出すたびに考えさせられるのであった。

2013/11/04

返信が速いと気持ち悪がられる事に屈してはいけない

今やメールやインスタントメッセンジャ全盛時代。特に携帯電話のメール等はプッシュ的に即時到着される。Twitterのストリームもそうだが、今こそプル型ではなくプッシュ型のリアルタイムメッセージ時代である。

デジタル機器を普段から使っていると、即時到着したメール等に対してパパっと返信を書いて送る事がある。仕事ではスピードが命であると痛感している人にとっては自然であるが、返信が速いと気持ち悪がる人が時々いる。悩ましい事だ。

私もそういう場合を何回か体験した結果、「少し待ってから返信」という習慣に変えたりしてみたが、結果的に良い事が無かった。結局「少し」待ったおかげで、返信を長い間忘れてしまったり、タイミングを逸してしまったりすることが多かった。

気持ち悪がる人に対してどう接すればいいのだろう。一つ言えることは、それ以外の人に対しても返信を一旦待とうとか考えないほうがいい。最初は気持ち悪がられ続けるかもしれないが、その人に対しての対応も変えないほうがいい。世間の変化のスピードは凄まじい。いや、私やあなたが持っている「やるべき事」は数えきれないくらいある。目先のすぐに片付けられる用事はさっさと片付けたほうがいいのだ。あと良くないのは、仕事でもそういう習慣付けを無意識にしてしまうことが一番良くない。仕事こそ最大限のスピード感を持って行うべきものだからだ。

ここで話したことは、返信の推敲にかける時間や、返信が遅い人を否定していることではない。推敲は必要だし、私も限りある時間の中で行っている。私自身がメール不精だった頃を考えて、返信が遅い人にも事情があるということは重々承知している。よく返信が遅い人に謝られる事があるが「何かをすることに遅すぎることはない」のだ。少なくとも私に対して「遅すぎる返信」を詫びる必要は全くない。

「即時返信は常識」などとすると、ともすると窮屈で緊張がほどけない生活になると考えるかもしれない。当然だけれども、即時返信出来る時はそうすればいいし、できない場合に必要であれば、あとで忘れずする流れさえ出来ればいれば大丈夫なのだ。就寝中や旅行中や大自然の中でリラックスをしているときまで、デジタル機器に縛られる必要性は無い。適切に自分の「モード」を切り替えて行動できるのが理想だと、私も日々模索している。

2013/11/02

30011円の御祝儀

10月に友人で会社の元同僚の結婚式があった。

何か新郎新婦を楽しませるような面白い事ができればいいなと思ったものの、スピーチなどに抜擢されることもなく、結婚式の出席のハガキをデコレーションするといった芸当もできず、記念品を買ったりする金銭的余裕もなく、結局どうしようか考えあぐねていた。

東京の結婚式はご祝儀制だ。何を言うのかと言われれば、私の地元北海道の結婚式は出席費用が予め明示されている会費制だからだ。日本全国的に見ればご祝儀制のほうが一般的なのだろう。

ご祝儀制結婚式の場合、額面が「割り切れる」事を嫌うということで、1万円だったり3万円だったり5万円だったりといった万の桁が奇数の額を選ぶらしいが、それを言われたときは数学科で数学を研究していたときだったので「それって2と5と何かで素因数分解出来る合成数だよね」と答えた。素数ではない、割る数字が存在する合成数である事は小学3年生なら分かる。

私はあまりお金持ちではないので、友人への相場である3万円より多くの出費はできない歯がゆさがある。ただ、ふと30000よりも大きな数字で最も最初の素数を調べたら30011だった。そう、ご祝儀袋にピン札の1万円札3枚と、10円玉1枚、1円玉1枚を入れて、封筒に「三萬十一円也」と書いて会場で御祝儀袋を出したのだ。

新郎は私のことを数学専攻であることは知っているものの、相手は文系である。30011円の真意は伝わらないだろうから、次に酒を呑むときに暴露してネタにしようと思ったわけだが、結婚式が終わって二日後にLINEでメッセージがやってきた。

「素数のご祝儀、ありがとうございます!」

見抜くとはさすがだなと思った。

本当であれば、10円硬貨と1円硬貨の製造年をそれぞれ新郎新婦のもので、かつ保存状態が綺麗なものか新硬貨かと見間違うほどクリーニングされた硬貨をコインショップで探してこようかと思ったものの、一万円札のピン札を用意することすら大変だったので、そこまで手が回らなかった。もし機会があれば、次回以降の課題としたい。

形式というものは非常に大切で、型を破ることは慎重にならないといけないものの、失礼にならない範囲で既存の慣習に機知に富んだ「とんち」を入れることは世の中を楽しくする大切なことだと思う。クラシック音楽でも、当時のベートーヴェンが非常に慎重にかつ着実に既存の形式や枠組みを壊して新しい境地を開拓した事も見習いたい。

もし私がプロの絵描きであれば、出席はがきの「御」を消す横棒から息を飲むような絵を描いて贈りたいくらいだ。実際にそういう事をして新郎新婦を楽しませるプロの絵描きもいるようで、絵が描ける人を尊敬する私は、そんなことができる芸当を夢見ている。

30011という一見して何の変哲も意味もない中途半端な数字に見えるが、数学の知識を通して見るとそこには「決して割れない家庭を築いて欲しい」という強い意図が隠れている。とかく学校の勉強は役に立たないと言われるが、こういった教養は古典や歴史以外に限らず、世の中を良く楽しくするというのだなと、手前味噌ながら思った。

2013/09/15

祖父に文章を書けと言われた

先日帰省した。2013年9月の始め。

普段は9月中旬に帰省するところだけど、今回は色々と都合がつかず、逆に9月の初めのほうが都合が良かった。

今回は少し長めに帰省する予定を組んだ。祖父が病気で大手術をしたという話を聞いたからだ。祖父のほかにも、身内で病気に倒れる人が続出して、以前から電話の向こうの母は疲弊していた。

実家に帰省して、祖父母の家に行ってみたら、祖父はピンピンしていた。休みの間毎日訪問したけど、その都度傷口を見せて自慢された。高齢ではあるものの、普段毎日山歩きをしている事などがあって、手術に耐える体力と回復力があったということらしい。

年齢が年齢なので、何かあったらという心配心があって長く休みを取ったものの、病気で倒れた身内のうちで一番元気なのが祖父だったというオチだった。一応、医者の言うことは守っているというか、医者の言うことを口実にしているというか、もう山歩きを再開していることについて「医者はもう運動しなさい山歩きしなさいっていっているから大丈夫」と言っている。すごいとしか言いようがない。さすがに医者は海外旅行は待てと言っているらしく、解禁されるまでモンゴル行きの旅行の予定は保留にしているようだった。ひとまず安心した。

祖父は昔からの人間であるが、20年くらい前から東芝のルポという純粋ワープロ機械を使って、旅行記を書いたりしている。ここ10年くらいはカメラに凝りだして、最初はデジカメを嫌って銀塩のフィルムにこだわっていたのに、知らないうちに「これは1000万画素の…」とデジカメを自慢し始めたりもする元気老人である。デジカメの写真管理のために、祖父の弟にパソコン環境を整えさせたりして即席現像環境まで作っている熱の入れようなのだが、ワープロだけはMicrosoft Wordなどのパソコン上のワープロソフトを使わず、東芝ルポから離れようとしない。これは誰もが言っても聞かないと諦めていて、骨董品となった東芝ルポの部品や代替機を弟に調達させているらしい。パソコンより高い買い物ではないか?でも孫の私が何を言っても聞かないから、歳は歳なんだなと感じる。

入院生活は長かったようだが、手術後すぐに生活に飽きがきたのか、病室にワープロとカメラを持ち込んで色々やっていたらしい。その成果が「闘病記」という冊子となって、心配して帰省した私に渡された。いつも強引に渡される旅行記の闘病版である。微笑ましい。

祖父は「お前、文章書いているか?理系の人間は文章を書かないから困る」と杓子定規な事を言ってきたので「これでもネットに色々書いているよ」と言っておいた。とはいえ、エッセー的なアウトプットは少ないなと祖父の言葉で思い直して、このブログ #think_ae を作ったという事情もある。大元のブログは技術記事や勉強会やカンファレンスの参加記録が多いが、そことは違う、日頃思ったことを書いていく場があってもいいと思っての事だ。むしろ、大元のブログも最近はアウトプットが少なかった事も気になっていたので、これからは思い立ったら書くといった、フットワークの軽さを発揮していきたい。もっとも、Twitterでは細々と日々の雑感をツイートしているわけで、140文字では収まらなくてアウトプットしていないことも色々ある。そういった事も書き綴っていきたいと思っている。

そういえば、祖父に「理系の人間はすぐ英語を使うのが困る」とも言われた。たぶん、カタカナ英語のことを指しているんだろう。そりゃ、海外の人との意思疎通のために書いたプログラムの説明を英文にする場合はあるけど、それは必要なことで、そういう事ではないのだろう。あぁ、この文章でもカタカナ英語をたくさん使っているなぁ。ただ、言い換えできない・難しい言葉は多い。楽天の「グローバルなベストプラクティスを実践していただくグローバルなオポチュニティ」はやり過ぎだけどね。何言っているんだか分からない。

祖父が元気なうちは、孫として頻繁に顔を見せてあげようと思う。その都度、無理やり旅行記を渡されたり、鮭とばやフルーツを食え食え言われたり、自慢話に付き合わされたりするんだろうけど、それも孫としての務めなんだろうと思う。

2013/09/12

FUDに負けない生き方

私は主にプログラム言語Perlを書いて仕事をしている。Perlが好きでもある。好きでもない仕事なんて少なくとも私は長く続けられない。Perlのおかげで楽しく仕事ができている。

大体季節の変わり目、3ヶ月に一度くらい「Perlは終わった言語」などといった記事が出回る。ネット用語では「disる(ディスる)」と呼ばれるようなこういった批判は、比較的歴史が深く先発のプログラミング言語Perlだからこそ、後発の言語に心酔した一部の出来の悪い勘違いプログラマーがやってしまう、よくあることらしい。プログラム言語自体に罪は無い。

彼らの目的は何だろう。変なプロジェクトで汚いPerlのソースコードを触るはめになったり、色々な事情でPerlが憎い、そして自分が心酔している他のプログラミング言語へ他のプログラミング言語を使っているプログラマを誘導したい、そういうことなのだろう。その材料の一つとして「Perlを使っていると職がなくなる」等といった話題を拡散させるという構図だと思われる。

元々はマーケティング用語であるが、こういった恐怖や不安に訴えかけた議論のことを「FUD」という。Wikipediaの解説が詳しい。

以前はこういった記事が出ると、Perlが好きなPerlプログラマがこぞって反論を展開していたが、結局はFUDを仕掛けた側の思う壺にしかならない。なぜならば、それによって良い意味で影響力の高い人がFUDの元記事を拡散させてしまうことになるからだ。最近では、こういったFUDは数カ月に一度の風物詩として「また出ましたねー」と流される傾向にある。またFUDされるのは、FUDを巻き起こしている側にも恐怖や不安であったり後ろめたさを隠している場合が多い。そういう部分をほじくり返すこともたまに行われるが、基本は無視か、FUDを仕掛けられた側の陣営の権威者の一刀両断で終わらせるほうが良い。

またFUDを仕掛ける側は「はてな匿名ダイヤリー」を使ったりと、大抵は匿名であることが多い。実名であることもあるが、そういう場合はある種の袋叩きにあって業界から危険人物扱いされてしまう可能性が高い。さすがにFUDを仕掛ける側も、そういう事を分かっている。

匿名の場合、匿名で言い返すことも可能であるが、結局は巨大掲示板サービス「にちゃんねる」のように「便所の落書き」にしかならないので、上記のような実名の権力者の一刀両断で終わらせるほうが良いと思う。

これはプログラム言語に限らず、自分の好きなエディタであるとかアーティストであるとか音楽であるとか、色々なジャンルで展開されうる事である。FUDは世界中で日常的に行われている。

最近キツイなと思ったのは、自分も属している特定の集団の顔の見える相手がFUDを仕掛けるといった場合だった。具体的な場所は伏せるが、私が採用した物事や私が属している物事や私が所持している物やスキルに対して「これは良くない」「こんなのやっているヤツは死ね」といった具合に、匿名掲示板さながらな物騒な言葉が飛び交う。明らかに私に向けられているFUDは、困ったことに周りへの雰囲気も害する。私は大人であるし、目上の人からも大人であれと言われていてるので、この実質的な個人対個人のFUDに対して色々な感情を押し殺して「皆さんの気持ちも分かりますし、きつい言葉やFUDはやめて、問題解決に向けて一緖に取り組んでいきませんか」と提案するものの、実際のところ私より年上の人が実名で堂々とFUDを繰り広げるという光景に、非常に残念な感じを覚えたし、正直なところ精神的に疲弊してしまった

ネットで恒例行事であるPerlへのdisやFUDは私個人に向けられたものではないが、さすがに個人対個人でFUDにさらされるとは思っていなかったので、匿名のFUDとは違う精神的な疲弊を味わったわけだ。そういった事があったので、改めてFUDについて考え直して、この記事を書いているという次第である。

では、匿名および実名のFUDに負けないためにはどうすればいいか。

まずはFUDという言葉が表しているような「恐怖に訴える論証」が誤謬である事を説明し宣言することである。Perlがdisにさらされた場合は、それに憤慨するのではなく、その裏を読み解き、相手の都合の良い誘導を見抜き、それを指摘することである。

たぶん珍しいケースである個人対個人のFUDに対しても、同様にそれが誤謬であることを説明するしか方法がないだろう。その時は顔が見える相手同士、その後気まずくならないような配慮は必要である。もちろん、コミュニティを破壊してもよいのであれば派手に行動しても構わないが、コミュニティに属している他の人の気分を害することは好ましいことではない。大人の対応をしていくべきであろう。

残念ながら「全ての人間は概ね正しい事をいう」というのは高校生の国語の授業までだ。社会に出ると、こういったFUDが渦巻いている。これを真に受けて憤慨してみたところで相手の思う壺だ。グッとこらえて、その裏を観察した上で、適切な対応をしなければならない。それが大人力でもあり社会人力でもある。私も社会人になりたての若い頃はそういったFUDに乗せられて怒ったりしたものだ。今思い返せば相手の思う壺だったのだろう。

そもそも、余計なFUDに構う必要はない。自分に関係ないと思ったら(守りたい別の誰かや何かがあるなら別として)FUDはスルーしてしまってもいいだろう。また、FUDを巻き起こす癖のある人というのもいて、そういう人から距離をおく事も大切だ。私のTwitterアカウントでは、FUDを頻繁に展開する人は積極的にフォローから外して、健全なタイムラインを形成している。見て不快になるだけのものを見ても損でしかない。

結論を述べると、やはり「冷静になって物事の裏に隠れた真相を見極めろ」ということなのだろう。年を重ねて血気盛んな若い頃に比べて癇癪持ちではなくなり、多少は温和になれたので、そういった事を心がけてFUDや詭弁に柔軟に対応していこうと思う次第だ。

2013/09/10

客の民度という話

会社の近く徒歩圏内にはそこそこの飲食店がある。会社は最寄り駅に近く、そこそこの郊外なので、色々な店に足を運びやすい。

昼食という視点で飲食店を選ぶ際、価格や食事の美味しさという点が重視されると思ったものの、ここ一年くらい「客の民度」で選んでいる事が多いことが分かった。あとは、連続で同じものを食べないといった気分的な問題だけ。

会社の近くに、定食が安くて美味しい飲食店がある。名前は伏せるけど、ただここ一年くらい来店したことがない。何となく避けていた頃に、なんで考慮外にするんだろうと考えたら、それは「客の民度」が悪いからだということに気づいた。

その店は、昼間から必ずと言っていいほど酔っ払ったオッサンがいて、瓶ビールを横に大声で話をし、タバコを周囲の食事中の客への遠慮無く吸いまくる。店員側の対応を見ていてもそのオッサンは常連客らしく、特に疑問もなく会話をしている。酔っ払ったオッサンは何パターンかいるのだが、ほぼ必ずと言っていいほど酔っ払ったオッサンが先に来店しているか、私が来店しているときにやってくるというパターンが続いて、鬱陶しくなったというわけだ。

そのオッサンはどうして昼間から飲みあくれているのか。すぐに出てくる疑問ではあるが、スーツを着ているし羽振りが良いところで職無しという線は大体外れる。観察していると、どうやら店員側が「教授」とか「先生」と呼んでいるところ、また駅最寄りに総合病院があるところを見ると、このオッサンは夜勤明けの医師ではないかという説が出てくる。そういったオッサンが、昼間から酒を提供している数少ない店に通うという構図だ。

夜の店や居酒屋であれば通用するというか仕方が無いなと諦められる「民度」でも、昼間仕事の合間にホッと一息食事をする中でこれをやられると正直つらい。その店の昼の客入りはそこそこのようで、オッサンによる全体的な入店抑制効果は無いように見えるものの、私のようにそれに敬遠する客もいるだろうことを考えると、オッサンによる機会損失は結構あるんじゃないかなとすら思える。とはいえまぁ、昼間の営業は補助的なもので、収益の半分以上は夜の営業が占めているとも言える。ただ、店のイメージダウンになっていることは確かだろう。

自分も酒が入ってしまえば、酒が入った他の客の民度も気にならなくなる。自分の「民度」も下げて郷に入ってしまう作戦だ。居酒屋という文脈ならそれが妥当だ。タバコの煙が苦手な私も、酒が入っていればそれに鈍感になれる。夜ならそれができるが、昼間、しかも仕事の合間の昼休憩の時に酒を飲むわけにはいかない。結局は、民度の低い店に入って、民度の低いオッサンに店が「飲まれて」しまうと、せっかくの昼休憩が後味悪いものになってしまう。

結果、多少高くても遠くても、店が提供する何かではなく、店にいる客の民度が低くないかで店を選ぶという、ちょっと不思議な事になっている。しかし、それは昔からある話だった。

とある大物お笑い芸人は、自分のライブチケットの価格を1万円に設定した。1万円の価値が自分にあるという自負もあるだろうが、1万円も払ってやってくる客は自分への理解があるからという狙いがあったという。数千円であれば広い場所を借りてでも薄利多売ができるだろうが、そうすると冷やかし目的で来る客であったり、自分の芸風を理解しない客がやってきて、場の空気を盛り下げるという事なのだろう。まさに民度の話に近い。

私はクラシック音楽が好きで時々チケットを買ってコンサートホールに足を運ぶが、稀に隣の席の客がうるさかったり臭かったり、クラシック音楽のコンサートのマナーを守らない客だったりすることがあってガッカリすることがある。むしろ、コンサートの音楽の質に満足できずに不満を持つよりも、隣や近くの観客の民度の低さに不満を持つことのほうが圧倒的に多いのだ。

クラシック音楽のコンサートホールだけでなく飛行機でもそうだ。電話やネットでチケットを買う際、座席選びをするところで必ず思うのは、前の方であったり都合の良い席ではなく「隣の客を選ばせてくれ」という事。

キリスト教は「隣人を愛せよ」と言うものの、聖人でもないのでその境地に至るのは非常に難しいだろう。最近は老若男女がキレる世の中、行動を注意しても無駄なばかりか危険すら及ぶことさえある。むしろ「君子危うきに近寄らず」といった教訓で行動したほうがいい。そのために、隣人がどういう素性なのか、プライバシー保護全盛の世の中であるものの、自分の手中に収めたいという気持ちが湧いてくる。実際にやったらダメなわけだけれども。

住み始めて長いこの木造ボロアパートも、以前の隣人が深夜に連日大騒ぎをしたりしたなぁ。不動産会社もロクでもない審査より、木造ボロアパートのマナーをわきまえている民度の高い人間のみ、格安の木造ボロアパートに斡旋してほしいもの。

客の民度に限らず、近くの人への配慮を忘れてしまったら、その人や関係者はきっと結果的に孤立への道を歩むことになる。これは自戒を込めて思うこと。私も若い頃は若さ故にそういう迷惑を周囲にかけたこともあった。そういったことを忘れずに、今の私はあらゆる場所での「近くの人」への配慮を忘れないようにしようと感じました。

2013/09/03

iPhone 5 にキズがついて思ったこと

iPhone 5 の背面にキズがついた。久々に遠出してそこで酔ったり色々していたので、気づかないうちにキズをつけてしまったのだと思う。

今使っている MacBook Air 2013 も、買って1ヶ月経たないうちにキズをつけてしまった。フタ側の縁に目立たないキズではあるけど、3ヶ月くらいは「無傷」で使えると思っていたのでショックだった。もうしばらく経ったので立ち直ったけど。iPhone 5のキズも、そうやって気にしなくなって乗り切っていくのだろう。

iPod が流行ったとき、裏面の鏡面部分が明らかに傷つくことについて、ジョブズは「それは自分だけのiPodが出来る過程」「iPodは毎年買い換えるもの」といったことを言っていた気がする。確かにそんなものなのかもしれない。大破させて使用できなくさせてしまわなければ、それは自分のデバイスを作る過程なのかもしれない。

昔は買ってきたノートパソコンや液晶ディスプレイを点灯させたらドット欠けの一つや二つがあって落ち込んだ経験は多い。最近ではそんな経験はだいぶ減った気がする。液晶の生産技術が高くなったということなのだろう。

キズ付けたくなかったら保護シートをつけるとかした方がいい。iPhone 4 は保護シートを付けていたけど、iPhone 5 では前面のフィルムとバンパーだけで、背面の保護はしていなかったのはうかつだったかも。それでも前述の通り、しばらくしたら気にしなくなるんだろう。というか、気にならなくなってほしい。

次期iPhoneの噂も出ている昨今。ジョブズの言う「毎年買い換えろ」的に言えば、新しいiPhoneを買うきっかけなのかもしれない。なにごとも何かの良いきっかけだと思うようにすれば切り開ける道もあるだろう。前向きに行きたい。

2013/08/14

良いコンビニとそれを支える人々

近所のコンビニ。会社帰りにいつも寄るんだけど、そこの副店長のおねーちゃんが仕事出来る系で好感が持てる。部下への指導も余念が無い感じ。かといってピリピリしたムードも無く、良い雰囲気を保っている。

当然ながら時間や時期によって、店員の質に偏りがあるのは事実だけど、概ね良い採用をしている感じがする。ちょっと弱々しくて不安なガリガリ青年とかがいたりして、コミュニケーションがいちいちたどたどしくて「どうして君は接客業をバイトに選んだの?」って聞きたくなる店員もいるけど、悪い人じゃないし日々成長している。

自分はコミュニケーションが苦手だったり面倒だったりするので、あんまり飲食店やコンビニとかで店員とコミュニケーションを取ることって少ないんだけど、前述の副店長のねーちゃんは、こちらが暑そうにしていたり酔っていたり、何かフックがあるときに話しかけようとしてくる事が多い。観察していると他のお客さんともコミュニケーションを取ろうと探り探り模索している感じなので、何かターゲット的な恋愛的な出会いとかそういうわけではないんだけど、地域密着型店舗を目指しているんだなーって感心する。仕事熱心というのもそうだし、せっかく多少の興味を持ってコミュニケーションを取ってくれるのは有り難いので、今度来店したときにはレジ待ち行列の後ろに客がいなければ少し意識して会話してみようと思う。そういったところから思わぬ発見があったりすることも多い。まさに異業種交流である。

「職業に貴賎無し」とは良い言葉で、熱心に仕事をしていればコンビニ店員だって胸をはって誇れる仕事だ(ただ雇用上福利厚生や当人の人生設計の将来性があるかという別の心配はある)。良いコンビニが近所にあるおかげで、良い生活をさせてもらっている側面もある。コンビニは自分の生活の一部でもある。

中学時代の何人かの友人はコンビニの店員だったり店長候補だったりで仕事をしている。話を聴くと結構興味深い。その他にも、今は別の仕事をしているものの、昔コンビニのスーパーバイザーになった高校時代の友人の話も興味深かった。田舎ではコンビニが生命線となっていたり、田舎の各地に点在するコンビニを24時間体制で回ったり、人が足りなければ自らが店頭に立ったり、まさにスーパーバイザーという職業は医療を越えるといっても過言ではない過酷な仕事のようだった(それゆえ若い人の引退は早いようだ)。自分はITエンジニアでプログラミングをしているけど、安月給を補うためにコンビニでバイトといった経験もしてみたいが、会社の副業規定に引っかかることは明白なので、一つの希望だけにとどめておこうと思う。

コンビニは人が動かしている。当然、人には良し悪しがあるようにコンビニにも良し悪しがあるだろう。2013年の夏は、コンビニでアイスケースに入る愚かな若者が立て続けにニュースになったりもした。ただ、志を持った良い人が動かしているコンビニは非常に居心地がよく、そういった店が少しでも増えればいいなと思う。

2013/08/04

Bloggerでブログを作ってみた

こんにちは。

ブログ作業が公私共に多くて「Blogger試食してみないとなー」と思ったので、今まで気にしたことも無かったBloggerでブログを作ってみることにした。Googleアカウントは当然持っているので、メインアカウントで作成してみた。以前Bloggerのホスト名が .com から .jp に勝手に変更されるという、私のような「URLは一意であるべき」という主義の人には堪えるGoogleならではの唐突な変更があったし、自分が所持しているドメインのサブアカウントを設定してみることにした。少しハマったけれど、比較的すんなり設定できた。

他の場所にも本拠地といえるブログだったり、さらに別のブログだったりっていうのはあるけど、ここではBloggerの機能を試食しつつ、日々の些細な考えを緩くアウトプットする場所にしたいと思っている。